2012年12月

もうすぐ今年も終わりますが、本格的な山登りを再開しようと決めた今年の5月から、ほぼ毎日続けていることがあります。

それは体重管理です。

登山をする上では、体重が重くなると疲労しやすくなり、そして、足腰に負担がかかり故障の原因となります。体重管理は大切です。

思い立った日の体重は、自分のベストより4kg重い状態でした。危険水準です(・・;)
そこで、ランニングしてダイエットしようと決意しました。昨年も時々ランニングをしていましたが、仕事が忙しくて体調不良になってからピタッと辞めてしまっていました。どうも、太った原因もそれにあるような感じでした。

ランニングは、5.0~8.5kmのコースを週3~4のペースで実施しました。残業で帰りが遅くなり夜中の0時を過ぎても走りました。

ちなみに、食事制限はしませんでした。楽しみを犠牲にするとランニングは絶対に続きません。また、ランニングは筋肉をつける目的でもあります。いっぱい食べてランニングです。

このランニングによってどのように体重が変動したのかを、下の図に示します。青い線が5/27からの体重の変動を、茶色の線はランニング距離の累計です。そして、赤の棒グラフは登山日です。

減量



見ての通り、体重の傾向が面白いことになっていたので、7つの期間に区分してみました。①助走期、②第一次停滞期、③効果覿面期、④リバウンド前期、⑤リバウンド後期、⑥槍穂縦走減量期、⑦第2次停滞期です。それぞれの期間毎にその特徴をまとめていきます。

①助走期
少し走り始めただけで、1kgは簡単に減量。

②第一次停滞期
2週目から早くも停滞期となりました。どんなに走って汗をかいても体重は変わらない状態でした。それが1カ月続きました。

③効果覿面期
ところが、7月に入ってからは一転して、体重の減少傾向とランニング距離の累計ラインが見事に一致してきます。サボれば体重が増加し、走れば体重が減少!! そして、8/12の時点で、累計ランニング距離260kmで3.0kg減量に成功しました。

ランニングによって消費されるカロリーは体重×距離といわれています。この期間の平均体重が65kgなので、65×260=16900カロリーの消費です。また、7000カロリー消費すれば体重が1kg減少するとのこと。これにより、16900÷7000=2.4kgとなり、ランニング距離260kmに対する3.0kgの減量は理論的にもほぼ実証されました。


④リバウンド前期
ところが、8/12以降、状況が一変します。盆休みに入り、食べて飲んで寝てランニングをサボったらところ、一気にリバウンドしてしまいました。10日ほどで1.5kg増です。

⑤リバウンド後期
盆休みが終わりランニングを再開したところ、すぐに1kg減となりましたが、2、3日すると盆の体重に戻ってしましました。その後はランニングを続けても、体重は増加傾向。槍穂縦走もまじかに迫り、焦る毎日でした。


次回、登山とダイエットに続く・・・。

筑波山のご来光登山。私は筑波山から15km圏に住んでいるので、筑波山へのアプローチは、車ではなく自転車です。

登山前日。

自転車のタイヤに空気を入れ、チェーンに油を注し、前日の反省から今回はしっかりと準備しました。
登山の行程計画は、自転車1時間、登山1時間、予備時間30分(念のため、凍っている登山道を考えて)とし、6時半の日の出に間に合わせるため、4時出発としました。

そして、登山当日。

目覚めたら、4時10分‼
完全に寝坊です
一瞬、登山を諦めて二度寝に落ちそうでしたが、行かないで後悔するより、行って後悔した方がよいと思い直して、飛び起きました。

そこからは、電光石火のごとく、着替えて顔洗って、4時半に出発して、コンビニに寄って、夢中で自転車こいで、5時半に筑波山の麓の筑波山神社の参道まで来ました。

筑波山神社の参道は、自転車で進むにはものすご〜く辛い坂道でした。氷点下の気温なのに汗だく 筑波山神宮に到着することなく、自転車は断念しました。

歩き出したら今度は時間との勝負。登山道は御幸ケ原コースにしましたが、時間ロスすることなく登山口に到着できるか心配でした。なにせ、真っ暗の中の初めての登山道。しかし、これについては、少し立ち往生しつつも、無事に到着できました

入山後の注意点は迷わず歩くこと。これは心配するほどでもないかなと思いました。しかし、いざ歩いてみると登山道の道幅が予想以上に広く、疑心を抱きながらの歩行となりました。さらに、麓の林の中はものすごく真っ暗で、高山にはいない野生動物と幽霊への恐怖も、少し感じてしまいました。

そして、カチカチに凍ってしまった登山道を注意して登っていき、山頂には日の出5分前に到着。

苦労したおかげで、ご来光は最高でした。
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朝日に輝く水面は霞ヶ浦です。



女体山頂はこの通り、最高の展望!! 今回のご来光を楽しんだ人は10人位。皆さんは、「おたつ岩コース」で来たようです。
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岩の上はツルツルでした。
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女体山頂の神社です。
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女体山頂から見た男体山頂。真ん中の白い所は御幸ケ原です。
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一通り女体山で楽しんだあとは、御幸ケ原に戻りました。上の写真を見た限りでは、雪が積もっていないように見えますが、実際の登山道はこんな感じでした。
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笹の葉も真っ白。
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雪だるま。
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枝に積もった雪もそのままでした。ただし、売店のおばちゃんが言っていた樹氷ではありません。
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御幸ケ原です。次は目の前の男体山を目指しました。
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男体山頂にある神社です。
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男体山頂から西の展望です。写真では分かりづらいですが、実際には浅間山が見えていました。
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また御幸ケ原に戻って、御幸ケ原から北西の展望。左から日光白根山2578m、男体山2486m、大真名子山2375m、女峰山2483mです。
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日光白根山と日光男体山は、奥穂高岳からも見えていました。奥穂高と筑波山がつながった瞬間です。
山の名前(北東)
~2012.9.16 奥穂高岳にて撮影~


この後、刻々と変化する景色を楽しむため、再度、女体山を目指しました。


途中で鳥がいました。
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女体山頂から望む富士山です。
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スカイツリーも見えてきました。ご来光時は霞んで見えませんでした。
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自転車で通ってきたところを中心に撮影しました。
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ご来光を一緒に楽しんだ人もいなくなり、女体山独り占め。


筑波山山頂(女体山、御幸ケ原、男体山)で、2時間ほど楽しんでから下山しました。下りも御幸ケ原コースです。
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筑波山神社に到着。
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筑波山神社付近の紅葉です。先日の紅葉の写真と同じ場所で撮りました。
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最後に、筑波山に関して報告があります。

今回、土日連続して筑波山に登りましたが、両日とも70歳くらいの小柄なおばあちゃんに会いました。気になったので聞いてみたところ、なんと、土日の登山を毎週5年間続けており、これまで計500回登ってきているようです。

また機会があれば、おばあちゃんに会いに筑波山に行きたいと思います。

先々週の土曜日(12月1日)、筑波山に登ってきました。その前日の金曜日、都内で飲んだ帰りに急遽決まった登山です。


筑波山は、茨城県つくば市の北部にある標高877mの山です。綺麗な双耳峰であり、写真に向って左側が男体山(標高871m)、右側が女体山(標高877m)です。美しい山容から「西の富士、東の筑波」と呼び称され、日本百名山の一つとなっています。
iPhoneつくば 029
~写真は2012.12.2撮影~


筑波山の登山ルートはいくつかありますが、今回は白雲橋コースから登りました。


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御幸ヶ原コース

距離:約2.5km 標高差:約610m
所要時間 登り90分/下り70分

筑波山神社から御幸ヶ原を目指すルート。ほぼケーブルカー沿いに登り、標高差があり比較的険しいコース。御幸ヶ原→男体山頂、御幸ヶ原→女体山頂の所要時間は、それぞれ15分です。


白雲橋コース

距離:約2.8km 標高差:約610m
所要時間 登り110分/下り95分

筑波山神社から酒迎場分岐、そして弁慶茶屋跡を経て女体山頂へと向かうルート。「弁慶七戻り」「高天原」「胎内くぐり」などの巨岩、奇岩を巡るコース。


迎場コース

距離:約1.6km 標高差:約190m
所要時間 登り40分/下り35分

酒迎場分岐からつつじヶ丘を結ぶルート。岩場が少なく比較的楽なコース。


おたつ石コース

距離:約1.0km 標高差:約200m
所要時間 登り40分/下り35分
つつじヶ丘から弁慶茶屋跡を結ぶルート。そこから白雲橋コースへ切り替え、女体山頂を目指します。

自然研究路
距離:約1.5km 標高差:約70m
所要時間 60分
男体山頂付近を周遊するルート。国定公園特定保護地区にも指定されているブナ林をはじめ、筑波山の自然観察に最適なコース。コース上の展望台からは関東平野を一望できます。




筑波山は山頂からの展望が素晴らしいところです。関東平野を広く一望でき、富士山や新宿の高層ビル、そしてスカイツリーも望めます。

今回は特に、山頂からスカイツリーがどのように見えるのかが楽しみでした。しかし、標高200mほどの指定駐車場から、あっさりと見ることができました。このスカイツリーを見て登山スタートです。
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筑波山は植生が豊かであることでも有名です。

ふもとから中腹までが暖温帯性の常緑広葉樹林、山頂付近は冷温帯性の落葉広葉樹林、その間は、常緑樹林と落葉樹林が混在する中間帯で、おおむね3つの森林帯に分かれています。特に山頂付近のブナ林は、植生上、貴重な存在とされているようです。

この写真は中間帯の写真です。
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大きな木の切り株がありました。年輪にマークがしてあり中心部付近は1700年、赤穂浪士討ち入りと書いてあります。江戸時代初期ごろからの樹木です。4


おたつ石コースとの合流付近からは、巨石、奇石めぐりです。

「弁慶七戻り」
頭上の岩が落ちそうで弁慶も七戻りしたと言われてます。
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「出船入船」
石の姿が出船と入船とが並んでいるように見えることから呼ばれています。
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「裏面大黒」
大きな袋を背負った大黒様の後ろ姿のように見えることから呼ばれています。
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ちなみに、このあたりの植生は貴重なブナ林です。

「北斗岩」
天にそびえ立つ、天空に輝く北斗星のように見える岩です。
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巨石、奇石めぐりのときは晴れ間も見える天候でしたが、山頂に近づくにつれガスが立ち込め、あられが落ち始めてきました。


そして、女体山頂ではこの通り、展望なしでした。冷え込みも厳しくなってきました。10


女体山から御幸ケ原の登山道にも巨石がありました。

「セキレイ石」
この石の上に鶺鴒(せきれい)が留まり、男女の道を教えたと言われています。この伝説は日本書記に書かれている話で、ここ筑波山だけではなく、淡路のおのころ島神社や丹後の眞名井神社にも鶺鴒石があるようです。
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巨石奇石めぐりや山頂の岩石、このセキレイ石、また登山道でみられる岩石のほとんどが、斑レイ岩という岩石です。斑レイ岩は火山性の岩石ではなく、マグマが地中でゆっくりと固まった深成岩の一種で、それが地上に出てきたものです。


そうこうするうちに、あられが雪となりうっすらと積もり始めました。
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女体山から10分ほどで御幸ヶ原に到着。右奥の建物はケーブルカー乗場です。13


男体山の山頂方向です。雪のため今日は登りませんでした。15
関東平野の孤立峰である筑波山は気象観測や無線通信の重要な拠点とされ、写真に移っているような施設が多く見られます。

御幸ケ原にあるお店です。
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左のお店でおしるこを食べましたが、このお店のおばちゃんが一言。
「明日の早朝は樹氷がきれいだよ。」
なんてことを教えてくれるのかと思いつつ、おしるこで冷えた体を温めました。


雪の中の下山は大変なので、帰りはケーブルカー。
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まっすぐな線路。
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ケーブルカーの降口は雪ではなく雨となっていました。しかし、紅葉は見事でした。
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筑波山神社の狛犬です。「筑波山を甘く見るなよ」と、こころなしか軽蔑した眼差しでにらんでいるかのようです。
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実際に、個人的に今回の筑波山登山を甘く見てました。

つくば市の天気予報が晴れだったこともあって、ダウン等の防寒着はそろえたものの雨具は準備せず、おもいっきり油断してました。反省です。


反省したあとは、筑波山に敬意を込めて再チャレンジしなければいけません。その決行日は、「明日の早朝は樹氷がきれいだよ。」というお店のおばちゃんの一言から、翌日としました。



筑波山 ②ご来光登山に続く。

今回は宮城県女川町の報告です。

女川町も震度6弱を観測し、さらに三陸海岸特有の地形(V字型の海岸地形)であったため、津波による被害も尋常ではなかった町です。
仙台地図_page0001

この女川町にも昨年の8月に来ており、何枚か写真を撮っていました。今回のを含めた撮影場所は下の通りで、2011年8月に撮影したものは写真①~⑤です。
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写真①
残されたビルも壊滅です・・・。
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写真②
3階か2階建てのビルもこの有様・・・。
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写真③
地盤沈下の影響で、川の水位が地面スレスレになっていました。この辺りは地震前に比べて地盤1m沈下しています。ちなみに、女川町の先の牡鹿半島の先端は、東南東に約 5.3 m移動し、約 1.2 m沈下したようです。
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写真④
辺り一面、瓦礫の山・・・。
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写真⑤
RC造2階建てビルも津波で横転・・・。
ビルの側面や屋上は、船か何か巨大なものがぶつかった痕跡がありました。他にもこのような建物がいくつかありましたが、建築基準法改正1984年以前に建てられた建築物のうち、悪条件が重なってしまったものが転倒し流されているようです。 
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以上が、震災5ヶ月後の状況でした。
続いて、震災1年8ヶ月後の現状です。写真①~⑪が震災1年8ヶ月後、2012年11月の撮影分です。
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写真①
この写真は高台から撮影しました。中央少し右に、横転したビルが残されていますが、ボロボロになったビルや瓦礫等は撤去されています。
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写真②
高台から北西方向です。こちらもビルや瓦礫も完全に撤去されていました。
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家に戻ったあと、まさかこの高台には津波が到達していないだろうと思っていろいろ調べてみました。すると、この高台は海抜16mの高さであったのにも関わらず、ここに立地する女川町地域医療センター(被災時は町立病院)にも2mほどの津波が押し寄せ、1階部分の設備が流失するなど、壊滅的な被害を受けたようです。

浸水高が約18m。
本当に信じられない津波の高さです。


写真③
S造4階建てのビルです。元の場所から15mほど流されて移動しています。ビルの背後は、写真①を撮影した高台です。
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写真④
6mの杭が1本、フーチングから垂れ下がった形で引き抜かれています。浸水高18mの津波が4階建て建物を完全にのみ込むことで、建物内に溜った空気によって大きな浮力が働き、波力に耐えられなくなったようです。
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写真⑤
杭無しの建物も転がっていました。
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写真⑥
写真⑤のビルも残されていました。転倒していなかった隣のビルは撤去されていました。
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写真⑦
この建物、そして他の2つの転倒した建物も、津波遺産として保存するようです。どうせなら、隣の転倒していなかった建物とセットで残すべきだったのではないでしょうか。P1090568

写真⑧
津波をかぶった杉の木は、おそらく塩害で立ち枯れたのでしょう。切り取られていました。津波の遡上高がよくわかります。
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写真⑨
もと女川駅があった場所だと思われます。南相馬市や新地町と比べ、着々と復興が進んでいるように感じました。
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写真⑩
瓦礫の山もだいぶ撤去されていました。あと少しです。
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写真⑪
道路計画高さとしてTP+5.4mが表示されています。
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6年後の2018年の女川町のイメージ。スローガンは~とりもどそう、笑顔あふれる女川町~とのこと。素敵な街になりそうです。
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今回は福島県の南相馬市と新地町、宮城県の女川町を見て回りましたが、少し、復興段階に地域差が生じてきているようです。

以上です。

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